兄と親戚:わたしの家系

続きまして2回めです。
こんにちは。

前回の記事では兄のことについて若干言葉足らずだったかなあと思ったので少し補足します。



わたしは頭の中で兄を殺しました。そして弟を創ったのです。
わたしにとって、病気を知る前までが兄であり、知ってからが弟になったのです。
だから本音をぶつけると、兄は大嫌いです。自分勝手でわがままで、自分のことは棚に置いて他人を責め、わたしを悪く言い、両親には手厚く保護される存在でしたから。
でも、弟は嫌いじゃないです。話もしないから好きでもないけど、いたって普通。弟は毎日母に「くすり飲んだー?」って聞かれてます。わたしより朝昼晩のおくすりは俄然多いと思います。就薬はわかんないけど。

これがわたしの元兄と現弟に対する感情です。弟を持ってから、大変だけど家族だからなあと思えるようになりました。



でも、わたしは彼の存在を否定するわけではないけれど、兄がいなくなってからは、病気に理解のない、一般の方に聞かれたときにはひとりっ子だと言っています。「そんな感じするー!」と言われたときは多少複雑な思いです(笑)

でも、彼のことを隠してるのはわたしだけではありません。むしろ両親が大いに隠しています。そのせいで、わたしが10年前に中学から高校に上がるときに、おばあちゃんと叔父さんがいる3世帯住宅の一軒家から、少し離れたところにあるマンションに引っ越したのです。
父の「マイホームが欲しかった」というのはきっと半分以上は建前です。本当は、兄が病気であることを親族に対してですら隠すためだったのです。
母からは仲良くしている母の妹にすら伝えていないと聞きました。
いつか両親が亡くなったときに、弟は自立できるのかな。心配です。



弟は病識があるのかないのか知らないのですが、兄の友人とはたまに会っているようです。
でもね、病気のせいですごーく太っちゃったんだ。
きっと病気だとは思われているでしょう。
でも、弟は兄の友人と会って来た日には楽しそうに母に話しています。全く社会と関わりが無くなったわけじゃなくて、良かったよね。



だけど、そんな弟なので、恋人なんてできないです。おくすりで穏やかになってはいるけど、まだまだ病気はひどいみたいだから…

弟が結婚できなかったら、叔父さんは独身だし、父の妹は嫁入りしたしで、おばあちゃんからの家系が途絶えてしまいます。残念…としか言いようがないです。

そして弟が結婚できなかったら、両親に孫の顔を見せることができません。
というのは、わたし、排卵障害も患っているのです。多嚢胞性卵巣症候群らしいです。卵巣にいっぱい卵子ができるけど、卵子が2mmに達しなくて、排卵されないみたいです。
まだ若いから、ということで排卵誘発剤を処方してもらうこともできるみたいだけど、わたしが服用しているおくすりを全部申告したら、そんなにおくすり飲んでるときに赤ちゃんができても、奇形になっちゃう可能性が高くなると言われて、処方してもらえませんでした。

でも、こんなACのわたしでも、大人になるにつれて両親には感謝の気持ちも持てるようになってきたので、孫の顔を見せてあげたいと思っています。

だから、今年前半でOD癖をなくして、後半からは減薬に励みたいと思っています。



次の記事は過去に飲んだおくすり、いま飲んでいるおくすりについて、かなあ。

自己紹介:わたしの家族

はじめまして。
平成元年12月に生まれたのんちゃん(24)です。

いつからでしょうか。
心を病んでおります。
おそらく中学生後半頃から対人恐怖症になり、高校、大学とそれがひどくなりました。
それから大学在学中にストレス等で不眠症に陥り、それをきっかけにNメンタルクリニックを受診したところ、うつ病と診断されました。
しかし、1〜2年後に転院し、Tメンタルクリニックに1年半ほど通院した現在では、双極性障害に診断が変わりました。
ほかにも身体醜形障害やその他の社会不安障害も患っております。
また、プロフィールにある通り、AC(アダルトチルドレン)でもあります。



手短にするはずの病歴の紹介が長くなってしまいましたが、このブログではメンタルヘルスについて、わたしが思ったり、考えたりしたことを書いていきます。



初回はわたしの家族について。

わたしの家族は変わりました。元々は両親、兄、わたしの4人家族でした。

わたしにとって9年前にぼやーっと、6年前になんとなく、そして5〜4年前にはっきりと、兄を失いました。

両親は10年前に兄の病気について知っていたようですが、5〜6年間、それをわたしに隠していました。

兄は失ったけれど、そのときからわたしには弟ができたのです。

詳しい方はご存知でしょう。彼は統合失調症だったのです。そして今もなお。彼には幻覚が見えたり、幻聴がしたりするようです。

それを知らされず、幼児のように夜遅くまで騒ぎ、寝る時間になると静かにしているわたしの部屋からうるさい音がすると言い、ときにはわたしがバイトに行く前に暴力を振るわれたり、包丁を向けられたりもしました。

そういったことを両親に度々話すうちに、両親がやっと彼の病気について話し出したのです。

母が何も知らなかったわたしに、「子どもみたいになっちゃうんだよ、考え方も、何もかも。」と言いました。

そのときから、わたしに兄はいなくなったのだと、代わりに歳上の弟ができたのだと思うようにしています。

でも、幼いわたしにとっては弟の存在が憎たらしくて仕方ありませんでした。彼は一浪して都立の大学に進学したのですが、病気だと知らされる前には、卒論を書くのにわたしがうるさいという理由で半年ほど1人暮らしをさせてもらったりもしていました。それ以外にも彼ばかりを両親が手にかけるような雰囲気であったため、いつの間にかわたしはACになりました。空気です。わたしは空気という役割です。いないのです。わたしは。



そんなこんなでしたが、今ではわたしも統合失調症に並ぶ二大精神疾患である双極性障害だと診断され、病気についてもかなり理解のある人間になりました。それでももう癖になっているようで、今もなおわたしは空気で居続けているつもりです。

両親がわたしのことも気にかけてくれるようにもなりましたが、まだわたしの病気については深く知らせていません。そのうち話せたら良いな、と思っています。



両親の精神疾患に対する理解はというと、父はシャイであまり話しませんが、普通の、健康な人です。
母はうつ病パニック障害の過去がありますが、現在は落ち着いているようです。
母は経験ゆえに理解はありますが、病気やおくすりに詳しくはないです。
父は昔、母のことを「精神病だ、キチガイだ」と罵倒していましたが、息子も娘も病気に罹ってからは、段々と理解を示してきました。



いまわたしが1番、声をかけやすく、それができないときにメールをする相手は父です。



家族は受け入れ体勢でいるようですが、もう8年も空気として存在し続けているわたしは、家族への接し方を忘れてしまいました。



同じような境遇の方もいるのかな?

というわけで、初めての記事、この辺りで終わらせていただきます。